こんな時こそ振り返る日本サッカー史の出来事~掴み掛けたW杯出場を後一歩で逃した『ドーハの悲劇』~
こんにちは!
ゆっきーです。
新型コロナウィルスの影響でJリーグの3月開催は延期されました。
しかもこのままウィルスの拡大が続けば、今期のJリーグの開催自体も危ぶまれます。
例年なら週末のJリーグ観戦を楽しみにしている時期なので、物足りない毎日を過ごしています。
わたしと同じように退屈な週末を過ごしている人も多いのではないでしょうか?
しかし、そんなことばかりも言ってられません。
Jリーグの開催が無いならば、日本サッカー史を振り返ってみよう!
ということで、日本サッカー界で起こった出来事を不定期に書いてみようと思います。
今回は、『ドーハの悲劇』について
このブログでもちょこちょこ書いている『ドーハの悲劇』が起こったのは、1993年10月です。
20代以下のサッカーファンでも知らない人がいるかもしれませんね。
というわたしも当時6歳、正直、記憶は余りありません。
W杯出場の夢
ここからドーハの悲劇が起こるまでを順を追って書いていきます。
1994年に開催されたサッカーワールドカップアメリカ大会(以下、W杯アメリカ大会)への出場を目指してアジア予選を日本は戦っていました。
ちなみに、日本は1998年のW杯フランス大会までW杯本戦への出場経験はありません。
当時の日本代表監督は、オランダ人のハンス・オフト監督
スタメンには、カズこと三浦知良やラモス瑠偉などが名を連ね、1次予選は7勝1分という圧倒的な強さで首位通過を果たしました。
ちなみに、現日本代表の森保一監督も当時の日本代表選手でした。
そして迎えた最終予選
6チームでの総当りを行い、2位までに入れば本戦出場が決まるという条件でした。
当時は、約2週間で最終予選の5試合を戦う過密なスケジュールでした。
ほぼ手中にあった本戦出場
第1戦のサウジアラビア戦は引き分け、第2戦のイラン戦に敗れるなど最初の2試合はあとが無くなった日本代表は、第3戦の北朝鮮、第4戦の韓国に連勝します!
この時点で日本代表は、勝ち点差でサウジアラビアと同じ5点、勝ち点差で上回り首位でした。
つまり最終戦のイラクに勝てば本戦出場が決まり、引き分けでもサウジアラビアか韓国が引き分け以下なら本戦出場が決まるという有利な条件でした。
第5戦(最終戦)の組み合わせは以下です。
日本(1位:5) vs イラク(4位:4)
サウジアラビア(2位:5) vs イラン(5位:4)
韓国(3位:4) vs 朝鮮(6位:2)
日本が有利な条件ではありましたが、最終戦の結果次第で朝鮮を除く5チームにチャンスがあるという熾烈な争いでした。
日本の相手はイラク
4位のイラクは勝つしかないという状況なので激しい試合になることは予想されていました。
ドーハの悲劇
運命の1993年10月28日
W杯本戦出場をかけた試合が始まりました。
この第5戦のみ最終戦の3試合は同時にキックオフされました。
つまり、全ての試合が同時に始まるので、他の会場の結果も気にしながらということになります。
日本は前半早々に三浦知良のゴールで先制、試合を有利に進めます。
イラクも勝つ為に前に出てくる展開となり、日本は耐えてカウンターという試合になりました。
前半は1-0で折り返しましたが、後半にイラクに同点に追いつかれます。
そこからイラクの怒涛の攻めに我慢の時間が続く日本ですが、後半中盤に中山雅史が勝ち越しゴールを奪い。2-1とします。
試合はそのままこう着状態となり、後半ロスタイム
イラクのコーナーキックから、最後はイラクの選手に押し込まれ再び同点に追いつかれます。
この時、日本戦を含めた3試合の状況は、
日本 2vs2 イラク(試合中)
サウジアラビア 4vs3 イラン(試合終了)
韓国 3vs0 朝鮮(試合終了)
サウジアラビアがイランに競り勝ち勝ち点7で本戦出場決定
韓国が3-0で朝鮮に勝ったことで、韓国が得失点差で日本を上回りました。
日本vsイラクは2-2のまま試合終了
結果、日本代表は最終順位で3位となり、本戦出場を逃しました。
これが、『ドーハの悲劇』と呼ばれる出来事でした。
まとめ
わたしは当時の状況をあまり理解していませんでした。
また、試合内容などほとんど覚えてはいません。
それでも試合終了後にピッチに座り込む日本代表の姿は記憶に残っていました。
日本代表が本戦出場をあと一歩のところで逃し、落胆している姿だとわかったのはしばらくしてからです。
そして、日本代表は4年後のワールドカップフランス大会のアジア予選で見事リベンジして、本戦初出場を決めています。
今のJリーグも面白いのですが、日本サッカーの歴史を振り返ると数々のドラマがあります。
Jリーグ中断中のこの時期に、日本のサッカー史に思いをはせてみるのはいかがでしょうか?
次は、日本代表がW杯本戦出場を決めた『ジョホールバルの奇跡』について書いてみようと思います。