日本が初めてW杯本大会出場を決めた『ジョホールバルの奇跡』って??
こんにちは!
ゆっきーです。
ついに大阪にも緊急事態宣言が出て、不要不急の外出の自粛要請がでました。
これからどうなるんですかね、、、
少し不安な気持ちも感じるようになってきています。
日本サッカーの歴史を振り返るということで前回は、
『ドーハの悲劇』
について紹介しました。
そして今回は、日本が初めてのW杯本大会出場を決めた
について紹介します。
『ジョホールバルの歓喜』って??
1993年、翌年のW杯アメリカ大会への出場を目前で逃した日本代表は、1998年のフランスW杯出場を目指してアジアでの予選に臨んでいました。
当時の監督は、成績不振で更迭された加茂氏に代わり岡田武史(現今治FC会長)氏が務めていました。
当時のW杯アジア予選では、本大会へ出場できるのは3チーム+オセアニアとのプレーオフに勝った場合の1チームでした。
最終予選は、2つのグループで争われますが、日本は韓国に敗れグループ2位
もう一つのグループの2位チームとの代表決定戦に臨みました。
4年前の雪辱を果た勝利!!
出典:https://web.gekisaka.jp/news/detail/?271501-271501-fl
代表決定戦の相手は、4年前のドーハで後半アディショナルタイムで追いつかれ、初のW杯本戦を逃したイラク
「ドーハの悲劇」の再来を予感した人も少なくないはずです。
試合は日本が幸先よく先制!
しかし、前半終盤に同点に追いつかれ、後半開始早々に逆転を許します。
それでも同点に追いつき、試合は延長戦に突入します。
ちなみに今とは違い、この頃の延長戦は、どちらかが点を入れた時点で試合が終わるゴールデンゴール方式(Vゴールとも)でした。
(現在は、点が入っても時間まで消化するシルバーゴール方式)
つまり延長戦で失点をした時点で、W杯出場の悲願は潰えるという状況でした。
迎えた延長後半、ついにその時は訪れます。
中田英寿の放ったシュートを相手ゴールキーパーは前にこぼします。
そこに延長から入った岡野が詰めていました。
ジョホールバル岡野劇場 W杯アジア第3代表決定戦vsイラン 1997/11/16
このシーンは当時、小学生だった私の記憶にもスローモーションのように残りました。
岡野がゴールを決めた瞬間、日本の初めてのW杯出場が決まりました。
日本サッカーのレベルを上げたJリーグの開幕
出典:https://www.jleague.jp/aboutj/history/
4年前の悔しさをバネに初めてのW杯出場を決めた日本代表
本戦では3戦全敗と世界の壁のぶつかりましたが、日本サッカーが大きく飛躍した大会になりました。
日本サッカーのレベルが上がった理由は、1993年に開幕した日本初のサッカープロリーグの『Jリーグ』の存在によるところが大きいと思います。
三浦知良やラモス瑠偉など経験豊富な選手や若手選手の育成が活性化して、日本サッカーのレベルを大きく向上させました。
また、2002年には韓国との共同開催で自国でのW杯開催は決まっていたことも要因になっていたかもしれません。
まとめ
今回は、『ジョホールバルの歓喜』について紹介しました。
『ドーハの悲劇』と『ジョホールバルの歓喜』は、日本サッカー史の中でもひときわ大きな出来事でした。
そしてこの2つの出来事を経験した日本代表はここから5大会連続のW杯本戦出場を果たしています。
世界各国のサッカーが中断している今だからこそ、改めて、サッカー日本代表の歴史について思いをはせてみてはいかがでしょうか?
関連サイト
朝日新聞: